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H28年11月5日に、こもれびこどもクリニックは5歳の誕生日を迎えることになりました。私たちを信頼して来院してくださっている皆さんには本当に感謝しております。ありがとうございます。そして、子どもたちの健康を守るために、共に協力し合い支えてくれている家族、スタッフにも心からのお礼を言いたいと思います。本当にいつもありがとう。

非常に多くの方々にお世話になりながら、この5年間を過ごしてきた訳ですが、開業時の理念に変わりはなく、それを実践するため努力してきたつもりです。その中で、いつも“何か違うのでは”という漠然とした気持ちを私個人は持っていました。それが何であるのかは、自分自身はっきりわからなかったのですが、ここ最近で少し気がついたことがありました。

夏に“医は仁術”という企画展が山梨県立博物館で催されました。これはPRの言葉を借りれば「現在、世界最先端といわれている日本の医学・医療。その原点は、江戸時代にありました…中略…本展では、当時の希少な解剖図などの資料のほか、江戸時代の医療器具なども展示し、中国からきた漢方と、西洋からきた蘭学とが、「医は仁術」の理念が実践されていた日本においていかに融合し、独自に発展をとげ、多くの人々を傷病の恐怖から救ってきたのかをご紹介します。」という企画でした。この“医は仁術”という言葉の一番的確であろうという解釈が「医師は、思いやりのある愛の心で、患者を助けることを本分とし、自己利益に専念してはならない。」というものです。ここで言われる“愛”というのは、自分自身、家族、職場、地域、国、世界へとだんだん広がっていき、それらに対して、“無償に尽くせる気持ち”のことのようです。

この時代の医師は、報酬のようなものは要求せず、人間の愛情に基づく“真心、情け深さ、慈しみ”を持って医療行為を行っていたそうです。だからこそ、治療を受けた人々は感謝の気持ちから食物等をお礼に医者に贈るということを行い医者はそのおかげで生活できたそうです(もちろん貧しさからお礼をできない人も多かったのですが、医療に差別はなかったそうです)。“患者”という言葉の意味はまさしく“心が串刺しになった人”のことを言うらしく、こういった身が病んでいる人は心も病んでおり、癒すには愛情を持って医療を行わなければならないと考えられていました。 “医は仁術”という言葉の意味を考えていくうえで、私が学生の時から今に至るまで、将来どういった医療に関わろうと思い、実際どんな医療をおこなってきたのかということを思い返してみようと思います。

 

カッコいいものへの憧れだったのかもしれませんが、学生になったばかりの時は僻地(へきち)医療をやりたいと思っていました。国内でも外国でもいいから、孤島や山間部など外界から隔絶されたような所で、医療者の行き手がなく、貧しさのため満足に医療を受けられない人達のために働きたいと思ったからです。しかし、6年間の学生生活でいつしかそういった“大志”はどこかへ忘れ去られてしまい、就職を考える時期が来たときは、働くなら、自分が楽しく安定した生活ができる所がよいかなどと考えていました。にも関わらず、最終的に選択したのは小児科医でした。通常、楽をしたい、収入を得たいと考えるなら、まずは小児科を選ぶ人はいないと当時でも思われていました。私は飛びぬけて子どもが好きな人間ではなかったのですが、学生実習の時の小児科の印象がなぜかとても良かったのです。というわけで、非常にいいイメージで入局した小児科医局でしたが、実際働いてみると地獄ではないかと思えるような日々が待っていました。帰宅ができた日は必ず深夜0時をまわっていましたし、今帰宅したと思えば、患者さんの具合が悪くなりまたとんぼ返り。とんぼ返りがなくても朝5時ころから採血等の処置をはじめないと全員分終わらないのです(朝早くおこされる子どもたちには今考えれば申し訳なかったと思います)。終わっていなければ指導医から終わるまで指導を受けます。当直は月10~15回。土日休みもなく、金曜日の当直で重症例が入院すると、そのまま主治医が決まるまでの月曜日まで担当が続き、ちょっとした用事で自宅へ帰る以外はずっと患者さんの側にいます。食事は入院中の子どもが食べなかった残りをもらい、風呂は病棟の風呂に夜中に入ったりしました。今のように携帯電話のような便利なものがなかったのでどこにも行けない状態でした。当直中はトイレへ行くにも、いちいち病棟に連絡してから行っていたものです。そのような多忙な中でも容赦なく学会や英文抄読会の発表者に当てられたり、何もわからない新米ゆえ、担当の患者さんのお母さんからは毎日厳しい事を言われたり、医師以外の医療スタッフからも理不尽に怒られたり、挙句の果てに制度上の問題で研修医の給料は75000円/月の支給に減額になりました。車で2時間かけていく当直外勤を加えた額で生活もやっとでした。あげればきりがないのですが、さすがに我慢の限界を超え、“今度自分の限界を超えたら絶対に辞めてやる”と思っていましたが、そんな事をもう一度よく考える暇もないほどに日々はあわただしく過ぎてゆきました。

そんな生活がつづいて迎えた年末、考えを改めるような転機が訪れました。いつも厳しい言葉を私に投げかけていた患者さんのお母さんが私を認め、信頼してくれるようになったのです。そしてもうひとつ、結果的には亡くなってしまったのですが、ある重症の患者さんの担当になったときの出来事もあげられます。非常に不安定な状態が続いていた患者さんで、なかなか側を離れることができず、寝食忘れて診る日々がしばらく続きました。麻酔のもとで呼吸器につながれ、声を出すことも、表情を変えることもできないのですが、面会許可日には遠方から必ず二人そろってこの子に会いにくるご両親を見ていると、不思議と“つらい”嫌だ”とうい気持ちが湧かず“何とかならないものだろうか”という気持ちだけでやっていたのです。この二つの出来事をきっかけに自分の中で何かがはじけ飛んで、“やっぱり続けてみよう”という気持ちに変わりました。当時は”医は仁術”という言葉は知りませんでしたが、知らないうちにそれを実践していたのかもしれません。

 

その後、当初は絶対に関わりたくないと思っていた重度の患者さんが多い循環器や新生児疾患を専門的に担当することが多く(重症を扱うからと言って報酬が多いわけではなかったのですが)、生死をさまよっていた子どもたちが治療により元気になって退院していく姿を見ることにやりがいを感じて、数年間は元気に働いていました。しかし、そのうち私自身が病気をして体調を崩してしまったり、日に日に身体的精神的な疲労が蓄積していることが目に見えて感じられるようになりました。そして自分の子どもが誕生し、家族との時間を大切にしていきたいと思ったこともあり、少し余裕のある場所での仕事を希望しました。開業するまでの数年間は、それなりに忙しい時もありつつも、家族との時間や趣味の時間もとれるような休みがあり、収入的にも不自由なく、くわえて新しい職場や私生活でも良好な人間関係が築けたため、最小限のストレスで少し人間らしい生活ができるようになりました。そんな風に心にゆとりが持てたことで、今度は開業して自分の考えで医療をしてみようと思えるようになりました。開業までは様々な準備に追われて、大変でしたし、不安も少なからずありました。実際に開業してみると、多くの人に支えられ、気持ちのいいスタッフにも恵まれ、家族もクリニックの運営や生活自体を支えてくれていますし、皆さん(患者さん)のおかげでクリニックとして徐々に安定してきたのではないかと思えるようになりました。こういった今までの変遷の中で考えてみると、日々やっていく中で感じている、漠然とした“何か違う”という気持ちは、大学入学当時に抱いていた大志や、研修医時代にはじけ飛んでしまったあの感覚、さらに重度の疾患の診療を苦にせず行っていたバイタリティーのようなものを今の自分の中に感じられなくなったと思ったからかもしれません。しかしよく考えてみると、こもれびこどもクリニックで掲げている理念とそれまで自分が行ってきた医療にたいする姿勢は、“医は仁術”という精神に則したものであり、形や立場こそ変わったのかもしれませんが、今の自分は昔の自分と全く変わりないのだと思うようになってから、この違和感は少し小さくなったように思います。

 

“医は仁術”という言葉の意味を考えることを契機として、医師をめざし、医師として成長する過程で感じてきた事と今の医療に対する姿勢は、形こそ変わったにせよ、根底は何も変わっていない事に気がつきました。さらに、昔の医療者の想いと自分が目指している医療の考え方はそう変わらないということに驚き、本来あるべき医療の精神が我々の中にも生き続けていることに感動しました。自分が知らずしらずのうちに実践しており、今現在も目指している医療の方向性は間違っていなかったと実感しました。ですが、それを十分に達成できているか?と問われれば、まだまだ全く不十分であると思います。その理由は医療を行う私たちにおいて“医は仁術”という言葉を実践するには、人間的成長と成熟が必要不可欠だからです。時間がかかるかもしれませんが、もし、本当の意味で“医は仁術”を私たち実践できるようになるときが来たとすれば、こもれびこどもクリニックは本来の役割を達成できるほどに育ってきたといえるのかもしれません。

 

現代の医療においては残念ながら時代とともに“医は仁術”という考えは薄れ、いつしか“医は算術”(営利主義ととられることが多い)という揶揄にも似た言葉にとって変わりつつあり、それを肯定的にとらえる医療者や、経済関係の人々も出てきました。それは、社会構造の変化から医療者と患者さんの関係が変わり、医療というものをビジネスととらえる方が的確だと考えられるようになったからだと思います。確かに昔のように食物のお礼だけでクリニックを運営することは不可能です。利益がなければ、医療を行うのに必要な薬品や検査機器、検査薬等は手に入らないですし、スタッフの生活を守ることもできません。自分も家族も生きてゆけません。しかし、利益にこだわれば、医療にとって、さらには人間として一番大切なものを忘れていってしまうような気がします。

5年という経験の浅いこもれびこどもクリニックですが、子どもたちの心身の健康を守っていく助けとなるために、“医は仁術”の基本理念を実践していけるよう努力して参りたいと思います。

まだまだ未熟な部分が多々ありますのでご迷惑ご不便をおかけすることもありますが、できることを精一杯していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。